日本とアメリカのスポーツの価値観

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本日は、ある記事をもとにスポーツに対して日本とアメリカの違いをお話します。

簡単に言うと、

学生時代は、日本だと一つのスポーツをとことんします。

アメリカは、いろいろなスポーツをします。

 

日本のスポーツでは、その競技だけに集中して「ほかのことは考えるな!」という指導方法が根強いです。

女子選手が髪を染めたりすれば、それだけで「気が散っている」と怒られる。

長さとかも言われます。

 

試合の時は大勢の観客に見られるわけだし、「きれいでいたい」とか、「かっこよくいたい」と思うのは当たり前の感情なのに「集中力に欠ける!」「だから勝てないんだ」となります。

自分たちの村の価値観から外れることは一切排除しようとする力学があります。

米国のアスリートはまったく違います。

 

特に女子選手が分かりやすいのですが、髪の毛を伸ばしたり、化粧をするのは当たり前。ハワイ大の女子バレーボールチームなんて、背が高くて、ファッショナブルな選手ばかりで、選手の入場などはまるでモデルさんのオーディションかと思うほどです。

それぞれの価値観に従って、かっこよさや美しさを追求し、自分の個性を解放するというのが、彼らの基本的なスタイルになっています。

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ただ、昔からそうだったのか、そもそもの文化だったのか、と言えばそうではありません。

米国で今は当たり前になったタトゥーを入れたアスリートにも、以前は厳しい目が向けられていました。バスケットボールファンなら1990年代から2000年代にかけて米プロバスケットボール協会(NBA)で大活躍したスター、アレン・アイバーソン選手をご存じでしょう。

 

彼は体中のタトゥーや髪形をとうもろこしのように編み上げたコーンロウなど、斬新なファッションと過激な言動でも知られています。

貧しい家庭で差別に苦しみながら育ちながらも、常に自分の可能性と個性を信じて、古い思考の世論と戦っていました。社会的な非難も浴び続けました。

 

オフシーズンにはラッパーとして、音楽活動も行っていました。彼が戦い続けたおかげで、今ではプロや大学どころか、高校のバスケットやアメフトの選手でもタトゥーを入れた選手は珍しくありません。試合でも練習でも、音楽が流れないことの方が珍しいです。

人間の本能を体現するスポーツは、個性の解放、開放する手段だと思います。

でも、

日本でこのような動きはなかなか進みません。高校野球がいまだに坊主頭なのはその最たる事例です。

高校野球の世界大会では、アメリカの高校球児は、ロン毛でタトゥー、ガムを噛みながら試合に望みます。

それが他人に迷惑をかけることはありませんし、非行との関連性もありません。

日本では、突出したものを否定する村社会のカルチャーがあって、個性を潰そうという風潮はあります。

 

先日のBリーグ決勝戦では、何人かの選手はガムを噛みながらしてました。

ぶつかった拍子に出たり飲み込んだりしないのでしょうか?

 

まだまだ規則が厳しい部活もあると思いますが、もっと自由にしたらいいと思います。

皆さんはどう思いますか?

 

皆様に信頼される治療家を目指し、日々精進します。